レシーバー同好会

攻めろ戦えとハッパをかけられる事が多いが、本当は守るほうが好き。スマッシュやアタックよりレシーブにゾクゾクするあなた、気が合うかも知れません。ちなみにスポーツはしていない。

そうだ古典を読もう

「そうだ古典を読もう」キャンペーン、始まる。

 

これまでの読み方とは違う読み方として、古典を一冊手元に置いて、長い時間をかけてゆっくりじっくりとうんうん言いながら読む、そんな楽しみ方を身につけたい。そんな思いが突然湧いてきたのです。

 

キャンペーン概要はこんな感じ。

①古典とは何か?何を読むか?岩波文庫か、著者が死んでいるものか、100年以上経っているものか?

いや、とりあえず古そうなもので行く。そこはざくっと古そうなものということで。

選定基準も特になし。研究者じゃないから体系づけなくてもいいし、時代もどうでもいいし、気になるもの、題名が格好良いものを読んでいく。

②いつもは図書館の利用が多いがキャンペーン該当図書は買う。

文庫や新書になっているし場所をとらない、読むのに時間がかかるからそんなに量を買わない、古本屋に行けば100円で買える。空間的、金銭的にもそんなに負担はない。なにしろ書き込みやアンダーラインが引けるのは魅力だ。

 

第一回分は読了。本の感想は後ほど書くとして。

予想通り、時間はかかるし僕には難解でよく訳が分からなかった。しんどかった。諦めようかと思った。

ただ予想に反したことに、面白いというか、本に引き込まれる瞬間が何度かあった。

いや、それでも内容は全然頭に入ってこないし論理的に追うことは出来ない。ただ頭のモーターがががっと起動してくるのを感じるだけだ。

突然本から「ここはもう一度読んでおけ」と命令を受ける箇所がある。それは無意識に引っ掛かっている、としか言えない。だって理解出来ていないのだからどこが重要か、面白いかなんて分からないんだから。

 

ここでもまた内田樹さんの言葉を思い出す。「学びに入る前に先生の価値は測量出来ない」というような意味のことをおっしゃっている。

なるほど、それはそうだ。分からないから弟子につくんであって何を教えてくれるか、何が出来るようになるか、は数字や言葉で分かるものではなく、なんか凄そうだ、この人についていってみたい、という直観をまず働かせるしかない。

本も同じだと思う。これが書いてある、とまとめの本で分かってしまった本は読む必要が無い。

まとめの本では良く分からないが、難しそうだし辞めておこう、という本は読まない。

まとめの本でも分からない、少し読んだが分からない、けどなにか凄いことが書いてありそうだ、読みたい、という直観のもと、弟子に入るような気持ちで読み始めるしかないのだろう。

しかし直感だけ、というのはあまりにも曖昧で、人生は短く、指針は欲しいところであり、そこで時間のフィルターを経てきた古典を読みたくなったのかもしれない。

 

まあ思ったよりこのキャンペーンは楽しそうだ。

挫折しながらも、細々と長く続くよう祈っている。