レシーバー同好会

攻めろ戦えとハッパをかけられる事が多いが、本当は守るほうが好き。スマッシュやアタックよりレシーブにゾクゾクするあなた、気が合うかも知れません。ちなみにスポーツはしていない。

近くて遠いこの身体

 

近くて遠いこの身体

近くて遠いこの身体

 

 著者は元ラグビー日本代表。

近代スポーツの申し子だったが、怪我によって身体が科学だけでは説明できないことに気付き、それを大学で学問的に研究しているという二捻りぐらいした立場の人物。

 

ラガーマンと聞くと非常にマッチョな印象を受けるが、読んでからの印象は正反対。正反対というよりとてもバランスの良い人。「闘争心」なんて言葉を使うかと思えば微細な身体の感覚を口にしたりもする。

それは著者の身体から出た実体験に基づいたものだからである。頭で考えているのではなく生身で考えてきたからこそ、科学にも精神論にも偏らない。科学の限界を知りながらも精神主義に陥らない、この絶妙なバランスが素晴らしい。

  

例えば文中にこんな言葉がある。

「自分」と「時間」が過不足なく一致したとき、あくまでも主観的には時間が「止まる」。(p183)

またこんな言葉もある。

思念に色をつけたものが雑念になる。(p196)

精神論じゃないか、と言われかねない禅宗の言葉のようである。

それに対してこんなことも言っている。

意思表示の声が出せないのは単なる心がけの問題ではなく、その背景には多分に技術の問題が横たわっている。(p154)

試合中に「パス!」という声を出すにはレシーブの技術が身についていなければならない。「声を出せ」という精神論ではなく、なぜ声を出せないのかを探ることによってその選手に足りないものが見えてくるのだという。とても科学的な考えだと思うし、他のことでも応用出来る考え方だと思う。

科学とか非科学かはおいておいて、実際に感じ取った感覚の話をする。それがこれまでの科学で説明されているか、これから説明されようとしているかだけの話。

感受性が鋭くて、考え方が柔軟で、とても好感が持てます。

 

読んでいると若かりし頃、一所懸命スポーツをしていたことを思い出す。

その頃に比べてなんとぼんやりとしか五感を使っていないことか。特にいかに視覚偏重であるかに気付かされた。

 音でものを見る「エコロケーション」という概念が出てくる。その中で全盲の方が「コウモリ人間」のように音を見、自転車に乗るという話が出てくる。

試しに歩きながら音を見ようとしてみた。当然自分には音は見えない。見えないが雑音がこんなに重層的に響いていることに気付く。もしかしたら本当に見るより情報量は多いのかもしれない。こういうのって、意識しないとすぐ忘れてしまうんだよな、もったいない。