テースト・オブ・苦虫1
町田康の本を初めて読む。
町田康にはずっと抵抗があった。食わず嫌い読まず嫌い。
読まず嫌いだった理由はどうも奇を衒っている文章にしか見えなかった事。
二つ目の理由は知り合いが町田康好きで、奇を衒った文章を真似していた事。
内田樹さんが著書の中で絶賛していたのを見、恐る恐る読んでみた。
読んでみて分かった事。
人間狙ってこんなに多く奇を衒えるものではない。きっと元々こんな人だ。
というか奇を衒うとは正反対で、自分に忠実すぎて私的過ぎるのだ。文章を分かりやすくする事よりも頭に浮かんだものを言語にする事に注力している。読ませる事より書く事に集中している。
頭に浮かんだもの、雑音や擬態語や恥ずかしい考えや人に知られたくない事なども含めて文章にしたもの、それがこの本。
匿名でもなかなか出来ない。体張って生きてるな、て感じ。
自分の中に浮かぶ事ってしょうもなくて何の独創性もないような気がするが、それは出力するときにパッケージにしてしまうからであって、ここまで頭の中に肉薄出来ればそれだけで非常に私的で他にないものが書ける事がわかった。それも多くの分量を書ける。でもそれが他人に通じるかは別の話。
まずは頭の中身に肉薄する事が第一、それからどこまで他人と共有する言葉へとパッケージにするのかという程度問題に至る。
私的すぎて読んでいて疲れる。知らない人の独り言を延々聞かされるようなものだ。
シラフでは疲れるから酒を飲みながら読んでみたら断然読みやすくなった。
つらいけど我慢して読み進める。4分の3くらい読み進めると少しずつ頭に入ってきやすくなる。知らん人の独り言が知っている人の独り言のようになってくる。
それと、このエッセイは連載されていたもののようだが、町田康自身がもう少し頭の中を翻訳して書こうと思ったのもあるんじゃないか。終盤は私的過ぎる内容が少しパッケージされ筋道立っているように感じる。良いのか悪いのか別にして。
ともかく何となくこの人の文章を読めるようになってきた。が、いかんせん疲れる。小説も読んでみたいのがあるがまあまた今度。
たぶんこの文章の凄い癖をまた味わいたくなる日がくるに違いない。ビールキムチと一緒に。