レシーバー同好会

攻めろ戦えとハッパをかけられる事が多いが、本当は守るほうが好き。スマッシュやアタックよりレシーブにゾクゾクするあなた、気が合うかも知れません。ちなみにスポーツはしていない。

首切り男のための協奏曲

 

首折り男のための協奏曲

首折り男のための協奏曲

 

連作

②ひとりの人が、同じものごとや題について作った作品。

 

今回の教訓。

確かに先入観を持って小説を読みたくない気持ちは分かるが、長編か短編かは確認した方が良い。

 

確かに帯にも書いてある。連作集であると。

7つの短編小説からなる連作集である。

物語は連続しないが、登場人物や事件がリンクしながら進むあれである。

 

待ちに待った伊坂作品を読むときが来た。

楽しみのあまり極限まで小説についての情報を遮断した。

帯を読む事までしなかった。怠ったのではない、しなかったのである。

 

途中まで、「話の落ち着く先が見えないが伊坂さんの事だ、大きなカタルシスを与えてくれるに違いない」と思っていた。伊坂幸太郎への信頼は上司への信頼の比ではない。

途中で気付く。この小説は一つの結末に向かって進むのではなく、袖触れ合う人々のそれぞれの人生を読んでいくものだと。

 

ああ裏切られた。どういう伏線がラストに繋がるのかにパワーを割いてしまって、一つ一つの短編が味わえなかった。悔しい。

といっても仕方なく、自分が悪いのである。

もう一つの教訓。

上司や伊坂さんに裏切られたと思う前に、教訓を得られて良かったと思ってみよう。

 

長編伊坂作品の醍醐味であるカタルシスはないものの(だって長編じゃないから)、今回も最後の二編くらい(自分が悪い)はそれはそれは良い読書体験でした。ありがとうございました。

悔しさが滲み出てしまいますね。

 

特に最後のお話「合コンの話」が好物でした。

合コン中の会話と心理を描いた部分は秀逸。

伊坂作品の若者を描いた話は他の小説にはない懐かしさがある。

そうそうこんな感じ、と簡単に物語に没入できる。

個人的な事だが、学生時代に伊坂作品と出会ったのも関係しているかもしれない。本との出会いはタイミングが大事だ。

僕の大学時代は宮本輝青が散る」で夢見がちに始まって、伊坂幸太郎「砂漠」で懐かしみながら終わっていった、と言えば過言である。

 

「俺には人の気持ちや善悪は分からない。ただ、せめて、フェアではありたいと思うだけだ。相手を批判するにしても、相手の事情は考慮したくなる」(p205)

 自分と同じ考え方だ、なんておこがましい事は言わない。

きっと自分の考えの数パーセントは伊坂さんの小説で出来ていると考えるのが正しいのだろう。

 

「いつだって、自分に問いかければいい。『俺が、もし、あいつの立場だったら、正しいことができたのか』とな。そこで、『俺ならできた』と思えるなら、とことんまで非難してもいい。ただ、同じ立場だったら、同じようなものだったかもしれない』と感じるならば、批判もぐっと堪えるべきだ」(p206)

伊坂作品の登場人物は冗談ばっかり言っているが、たまにこういう正しく説教くさい事を言う。

こういう正論を嫌いな人もいるだろう。本筋には影響ないのだから、言わなければ読者ももっと増えるだろうに、登場人物に冗談に見せかけて語らせるのは、伊坂さんの伝えたい事がこちらにあるからではないか。

説教くさい事を難しく書いても読む人は限られる、それなら多くの人が読みたくなるようなストーリーやウイットに紛らせてしまえばいくらかは読者が増えるのではないか、と考えているのではないか。

そして当代随一のストーリーテラーになってしまった。

そんな陰謀論を考えながら、まんまと小説を読み、まんまと影響を受けている。