戦争が始まる時
世の中少しきな臭くないでしょうか?
いやこれがただの僕の心配性によるのなら良いんだけれど。
確かにアメリカのテロ事件とかの頃より世の中の事が分かったつもりになって、敏感になっているところはある。あの時もアンテナを張っていればこんな空気だったのかもしれない。
またツイッターやインターネットによってそういった情報を集められやすくなったというのも原因かもしれない。
ただそれを差し引いても何だか嫌な感じがする。
中学校の授業のうろ覚え程度で恐縮だが、戦争が始まる時の原因って、
例えば皇太子が殺されたとか、
国境付近で一発の銃弾が誤射されたとか、
植民地の領土争いであるとか、
そんな話であったような気がする。
確かに重大な事件かもしれないが、それって何万人もが死に至る戦争を引き起こす理由になるのか疑問に思っていた。今もそれは思う。
文字通り引き金に過ぎないのだろう。戦争は起こるべくして起こった。
最後の引き金を引いた人に悪気はない。誤射だったのかもしれないし、自分だって恐怖から撃ってしまうかもしれない。
悪いのは一発の銃声如きで戦争が起こるような緊張を続けた事だ。
そして今のところ最後の銃声さえまだ聞こえないものの、
怒りや狭量によって緊張感が増してきているように感じるのだ。
キレやすい子供だった自分には良く分かるんだけど、
緊張感が高まってくれば、微笑ですら嘲笑に見える事があるし、善意でも悪意に見える事があるし、仲間でも敵に見えてくる事がある。
小さい時の喧嘩なんて、最初はお遊びだったが相手の手がたまたま目に当たったとか、悪気は無かったのに相手が本気と勘違いしてとか、そんなもんだ。
もし子どもに喧嘩をさせないようにするならば、「これは遊びである」「相手には悪気が無い」という事を不断に思い知らせ続け、緊張感が起こらないようにする必要がある。
まあ喧嘩は構わないんだけど戦争は嫌だ。
溢れそうなコップのまま長期間放置してはいけない。
まあ色んな人いるし、 机を揺らしてくる人とか水を注いてくる人がいると思うけど、
あと数滴の水でコップが溢れるような状況に置いておくのだけは避けていきたい。