レシーバー同好会

攻めろ戦えとハッパをかけられる事が多いが、本当は守るほうが好き。スマッシュやアタックよりレシーブにゾクゾクするあなた、気が合うかも知れません。ちなみにスポーツはしていない。

マレフィセント

 

 

この映画がハッピーエンドとして示したものは何だったのか。

 

最終主人公が手に入れるのは恋人でも自分の子供でもない。言うなれば後継者である。その後継者は血が繋がっていない、かつて愛しそして呪ったことがある男、その子供である。なるほど生まれや過去に囚われず、認めるべきものは認めるべきだというメッセージかもしれない。

それはこれまでの社会制度、男性主体の考え方や血縁によるしがらみ等を意識した作品かもしれない。違うかもしれない。

 

僕の考え方がマッチョな前近代的な考えで染まっており、感性が鈍っているのだろうか。多くの方が感じたことが感じられなかったのかもしれない。

ちなみに一緒に見ていた女性は良い映画だったと言っていた(詳しい感想は聞いていない)。女心が分からないことが原因なのか。

女心の分かる人いませんか。

 

主人公はアンジェリーナ・ジョリー扮する魔女、マレフィセント

マレフィセントと恋に落ちた青年は、国王になるという自らの野望のため、恋心を犠牲にした上で国王となる。

裏切られたマレフィセントは国王と王女の間に出来た娘・オーロラに呪いをかける。

王は発狂しマレフィセント討伐を行うが、到底力及ばない。

一方、国王の知恵によりオーロラは深い森で静かに育てられる。実はそれを見守るマレフィセント。そのうちマレフィセントもこの娘を愛してしまい、自らかけた呪いを解きたいと思うようになる。

呪いは解け、オーロラはマレフィセントの後を継ぎ、人間と異界の者の統合の象徴となる。ハッピーエンド。

あらすじはこんな感じである。

 

呪いを解く真実のキスをするのが運命の人であると思われた王子でも親でもなく、実は一度呪いをかけたマレフィセントでした、というところが映画のミソだ。

 

この映画、ほとんどの男がダサい。

王は真実の愛を忘れ、野望に走り、恐怖に発狂し、死んでしまう。

オーロラと恋に落ちる王子のキスでは呪いは解けず、間抜けである。

終始女性が主役であり男は脇役。ということはやはり女性を観客と考えているのだろう(まあそもそもディズニー映画なのだが)。

 

「家族や恋人など仕事のための犠牲にするのは当然」と考えるマッチョな男どもは共感出来るところがないだろう。また多様性を認めない男どもは真実のキスが女性同士のものであるということに違和感を感じる人もいるだろう。

 

正直言って男である僕からすれば野心を選んで国王となった男への仕打ちがひどすぎると思う。涙を呑んで恋心を捨てて(この描写はしっかりと映画のなかにはある)野心を選んだ男をそこまでヒールにする必要があるのだろうか。

愛を選ぶ多様性と同様、野心を選ぶ多様性もあって然るべきである、と思う。

 

となるとこの映画はポジティブ・アクションの一つのなのかもしれない。

男的とされてきたものから女的とされてきたもの(男から女ではない)への移行。仕事、野心が第一とする旧弊な考え方から平和、愛情といった枠組みへの転換。

 

旧弊な男性諸君、もう少し待とう。仕事、野心といったものへの再度の揺り戻しを。

そんな旧弊な人がいても良いとは個人的には思う。  

 

と、考えてきたが、そもそもこんなオシャレ映画を分析して考えてしまうところが女心を分かっていないということなのかもしれない。やだやだ。