レシーバー同好会

攻めろ戦えとハッパをかけられる事が多いが、本当は守るほうが好き。スマッシュやアタックよりレシーブにゾクゾクするあなた、気が合うかも知れません。ちなみにスポーツはしていない。

ニッポン景観論

 

ニッポン景観論 (集英社新書)

ニッポン景観論 (集英社新書)

 

自然を愛さなくなったというのであれば、今の日本は何を愛しているのでしょうか。(p116)

 

良書である。

幼い頃に聞いたこんな話を思い出した。

確か千利休の話である。

客人を迎えるため、利休が弟子に道の掃除を命令する。弟子は一所懸命に道の落ち葉を掃く。しかし掃いても掃いても利休の合格はもらえない。

「ではどうすれば良いのですか」と弟子が問うと、「こうするのじゃ」と樹を揺らし、

道に落ち葉を散らかした。

細部に自信はないがニュアンスはこんな感である。

幼心に「はーなるほど。これが美意識ということか」と感じたのを覚えている。

 

目標は「調和」である。

 落ち葉だらけのままでも、掃き過ぎるのでもいけない。適度に調和を図ること。

さて、それでは現代の日本の風景、看板、建築に自然と人工物の調和はあるのか。

「まったくない」というのが本書の趣旨であり、執拗に写真で根拠を示し、過剰なくらいの皮肉でめった斬りにしている。

 

ここまで言われて槍玉に挙げられている建築家や官僚は良い気はしないだろう。アメリカ人が何を言うのか、と。

しかし著者は1977年から京都・亀岡に居を構えており、単純に在日年数だけでも僕よりは長い。しかも景観への意識の高さは並大抵ではない。ここまで分かりやすく日本の景観について語ってくれた日本人を僕は知らない。皮肉が多いのも、皮肉に紛らさなくては建築家や官僚、ひいては日本人の立つ瀬がなくなってしまうからだろう。

これだけ日本の景観を愛している人は滅多にいない。

 

西洋文化は自然を征服し、日本文化は自然との共生を図ってきた、と習ってきたし、 そう思っていた。それが今では完全に逆転している感がある。景観についても、話題の原発についても。いつからだろうか、そしてなぜなのか。

 

日本人は自然に逆らうことを少なくし、忍耐力を涵養し共生の道を図ってきた(共生という言葉自体おこがましい気がするが)。

その生き方を技術力が進歩したからといって変えて良いのだろうか。

自然を敬っているとかなんとか言っときながら、力関係が逆転すれば(勘違いだが)自然を破壊するというのは、ばれないから万引きをするのと同じくらい浅ましいと思う。そこには文化も精神性も一貫性も見出せない。

著者はこれを文明開化以来の日本人のコンプレックスを理由にしている。自然の物や古い物に自信を持てないんからだと。

そして劣等感から自然を破壊しているうちに今度はまた「調和を図る」という世界の潮流から取り残されるという悲しい日本人。

 

まあ潮流はどうでも良いけど、単純に我々は良いもの、美しいものを残したいと考えるようにならないといけない。

そろそろ皆気付いているよね、言いにくいだけで。気付いていないならとにかくこの本を読んでみたほうが良い。

このまま何も残さないと後世の人達に「ふざけるな」と言われると思う。

 

奇抜で巨大な土木構造物は、 後進国では「それこそが文明」と喜ばれます。しかし、日本以外の先進国では数10年前から方向性が変わり、自然と歴史環境、美観に配慮し、かつ費用も規模も極限まで抑える技術の研究は進んでいます。(p71)

 各人の違和感を大事にしないと、雰囲気で政治が決まっていく日本では方向転換が難しく、ずるずると景観の破壊、資源の無駄遣いが進行してしまう。そしていつの間にか後進国と呼ばれるようになっていた。

 

国の予算のうち、土木、建設が占める割合は、アメリカが8%、ヨーロッパでは6~7%でしたが、日本は40~50%となっていました。土木、建設に関する雇用は、アメリカでは全雇用のうちの1%未満で、日本は12~14%でした。桁違いです。1年に敷き詰めるコンクリートの量でいうと、日本はアメリカのなんと33倍でした。(p87)

 国の予算のうち、土木、建設が半分を占め、国土面積の圧倒的に少ない日本がアメリカの33倍のコンクリートを敷く。どんな事情を考慮しても異常だと感じる。

どう考えても修正しないといけないだろう。単純に、いろいろともったいない。

 

日本では自国を紹介する時、キーワードとして「四季がある」という言葉がよ使われます。しかし、山では杉植林が、町では枝落としが、国土から「秋」をほぼ抹消したので、そろそろキーワードをアップデートしないといけませんね。これからは「日本には三季がある」ことを誇りにしていくべきでしょう。(p124)

 いや本当にお恥ずかしい。そんな変化も気付かずに、好きな季節は秋だなんて言っていたなんて。最低感受性くらい自分で守れよ、ほんとに。