書くこと
書くことに抵抗があるのはなぜか。表現する自体が恥ずかしい。表現するほどのものが無い。表現する手法が未熟である。すべて当てはまる気がします。
きっとこのブログも後から読むと編集したり削除したりしたくなると思います。できるだけしないつもりだけど。
伸び伸びと文章を書いてみたい。そんな思いもあるのです。
他の方の本やブログを読むと、「読んでしまう」文章とそうでない文章がある事が分かる。
長くても、よく分からなくても、一気呵成に読んでしまう文章。
これは書かれている内容(興味のある内容かどうか)にもよるが著者によるところが大きい気がする。興味のある内容でも途中で投げ出す文章もあるもんね。なぜか。そしてどうせなら読んでしまう文章を書いてみたい。
①伝えたい事がある
言葉にはならないけれども頭の中にもやもやしてものがまずある。言葉にならない方が力強い気がする。だってそれは今まで語られた事のない独自性のあるものだから。
思えば伝えたい事も無いのに文章を書くという事に慣れ過ぎてきたと思う。
「感想文を1200字で提出しなさい」や「記述問題は用紙の7割以上の分量で解答すべし」であるとか、「丁寧語で書いた方がレポート用紙が埋まりやすい」など。あっさりした言葉でマス目を埋めてきた。
そういう時は文章を書いてはいけない。書きたいから書くんだ。
まずは「書いてしまう」という事。
②伝える意欲がある
もやもやしたものは自分独自のもの。他人への想像力って驚くほど低いものであり、伝えたい事はかろうじて伝わるのだと思う。
伝えたいと思わないとぶつぶつ独り言を言っているような文章にしかならない。
二つ目は「書けない」という事を前提にしているという事。
③誤解を恐れない
伝わらない事を前提にしてもなぜ書くのか。それは「伝わればいいな」という願いを捨てきれないから。
更に誤読されたとしてもその文章を読んだ事によって影響を感じる人がいればそれでいいというスタンスもある。
言葉を尽くした上で間違って伝わってもそれはしょうがないし、書かないよりマシ。
それくらいの割り切りでもって文章を書くと伸び伸び書けるんじゃなかろうか。
3つ目は読み手に「任せる」というスタンス。
まとめると、「書きたい」事を「書けない書けない」と言いながら書いて、書いた後は「放っておく」。
驚きな事に心持ちの話だけになりました。さすがです。
書きたい主題を見つけるのが一番難しいかなと思います。もやもやがあっても抑え込んだり、他人の助言を最終結論とみなしたり。感受性を持って書きたい事を見つけていきたいものです。そして論理の力で相手に伝える。
感受性豊かに見つけ、論理的に伝えようと思います。
ということは当たり前の論理を感情的に伝えるのは意味がないし伝わりもしないという事か。気をつけよう。